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尾久を散歩する106

今日の話題は「被災地を行く(回想編)」です。

6月2日(土)、3日(日)東北の被災地へ行ってきました。
大震災が発生してから、一度、訪れてみたかったのですが、ボランティアでもなく、ただ行くだけでは、失礼にあたると思い、すぐには行けませんでした。
目的は被災地の現状を見る事です。
今回は「散歩」ではなく、あくまでも「被災地へ行く」が目的です。
「散歩」という言葉は、被災地の方には失礼でしょう。

上野から朝早い新幹線に乗り、仙台へ。
新幹線に乗車したのは何年ぶりでしょう。
新幹線はとても速く(当然ですが)景色をのんびり観賞できないので、私には楽しくない乗り物なのです。
景色を見ると防壁(音を遮断する ?)が存在しており、景色の下半分が常に見えない状態なわけです。
「なんだ、これなら、本でも読んでいたほうがマシだ」
昔、新大阪から福岡への新幹線に乗った時、トンネル、トンネルで景色の「けの字」も見えませんでした。
新幹線が関門トンネルに入る瞬間の関門海峡の景色を見ようとしましたが無理でした。
そして、いつのまにやら北九州へ到着。
「なんじゃこりゃ」(景色見えない不満爆発!!)
トンネルが多いと今、どこを通過しているのか、土地感が感じらないのです。
とまあ、こんな思い出がありまして。
今回はやむを得ず新幹線使ってやるかあああ・・・(少しナゲヤリ)

それにしても、新幹線の乗客は私含めて中高年の人ばかり。
私の乗った車輌に若い人はいませんでした。
「日本の若者達よ!君達はお金を持っていないんだねー。」

まず、JR仙石線にて仙台から観光地で有名な松島海岸へ。
JR仙石線は仙台から石巻までなのですが、震災の影響で松島海岸~矢本間は代替バス、矢本~石巻間はJRとなっています。
途中の東塩釜駅で海が見え、景色からは、なんとなく震災の影響を感じさせますが、すでに時間が経過しているからでしょうか、露骨な震災跡は感じられませんでした。
松島海岸を訪れるのは昭和62年以来ですが、前回の記憶がまったくありません。
今回の目的は観光ではないのですが、せっかく来たのですから「遊覧船」に乗ってみました。
遊覧船の案内放送には、景色を紹介する内容もありましたが、震災時の記憶も放送してくれました。
まさに、地震のその時、この遊覧船も運航していたわけで、すぐに引きかえし、乗客を向かいの高い山へ避難させました。
その後、津波による厚い黒い砂が街中を覆いました。
街中の人達は目標を立てました。
「なにがなんでも、4月29日には復興したい」
これは、GWだけは譲れないという街を思う、観光に携わるすべての人達の思いであり共通の願いでした。
復興のシンボルとなった遊覧船が運行したのは4月29日です。
遊覧船の待合室にも、被災時の街の状況がパネルにて展示されていました。

遊覧船は就航する前に、必ず窓吹きをしてくれます。
私のように景色にうるさい人間には、とても感動すべきサービスなのです。
展望を売りにしている観光地には、窓がきたなく、結局、景色が見えないなんて良くある話です。

松島海岸から代替バスにてJR矢本まで行きました。
代替バスから見える街の震災跡に「あぜん・・・」とはこの事でしょう・
津波に襲われた家屋が点在しているのです。
東北に来て、復興後しか見ていませんでしたが、代替バスから震災を感じる景色を初めて目にしたわけです。
ぼろぼろ、ぐしゃぐしゃ、めちゃくちゃ・・・・
こんな表現しか思いつきません。
一階はダメでも、二階に住んでいる人。
回りが廃墟のような環境で、ラーメン屋のような商売を始めている人もいます。
そして、ポツンポツンと見える新居。
とにかく、バスから見える景色に釘ずけでした。
この辺のJRの区間は海に近いので、震災でやられてしまいました。
復興すれば、さぞかし海の見える景色の良いJR区間になるはずです。
今度来た時は、JR仙石線全線、乗ってみたいですよね。

代替バスは無事、JR矢本駅へ到着。
この地域は、そもそも高台にあるので、震災の影響はまったくありませんでした。
いよいよ、ここから、多大なる震災の影響のあった石巻へ。
石巻到着、とにかく、津波の影響の大きかった海沿いに行かなければなりません。
途中で寄った喫茶店の方に、震災時の話を聞きました。
「駅から商店街まで、津波でじゃぶじゃぶ状態でした」(喫茶店の方)
「え、本当ですか」(私)
駅から商店街に関しては、2、3件の店が津波の影響で「店の再開を断念した」ような貼り紙があった以外は、特に、津波の影響を感じるものはありませんでしたが、話を聞いて、無性に海岸沿いに行きたくなりました。

石巻の海沿いに着きました。
何か、広々とした空間を感じましたが、この空間に家屋が存在していたのでしょう。
ならば、とてつもない事態が起こったのは間違いありません。
家屋のぼろぼろ感は「むきだしになった柱」「汚いプラスチック商品の散在」「風でプラスチックの紙がひらひらと揺れる」等が、人間の総括的な印象で「ぼろぼろ」として見えてしまうのです。
それでも、大きな通りの店は復興していましたが、大きな通りに面していない場所は、震災当時のままでした。

一軒の中華の店を発見しました。
この店は大きな通りに面していないので、初めての人は歩かないと発見できません。
なにか、今回の震災の復興のシンボルのような印象を強く受けました。
ここで、昼食を取りました。
店にはご主人と奥さんと小さな子供とおばあちゃんらしき方がおり、典型的な家族だけで経営している店のようです。
店内にはボランティアの人への感謝の思いが綴られた色紙が張られていたのが印象的でした。
本当は震災時の話を聞きたかったのですが、小さな子供の居心地が良くなさそうで、母親が子供につきっきり状態でもあり、雰囲気的に話しかけるのは止めました。
この店は「上海楼飯店」という店です。
JR仙石線が全線開通したら、石巻へ行き、もう一度「上海楼飯店」で食事をする。
これが、次回の東北旅行の私の目的になりました。
その時は、今以上に石巻も復興している事でしょう。

石巻は漫画家の「石ノ森章太郎」の所縁ある街で、サイボーグ009や仮面ライダーのモニュメントが街中に設置されており、それだけでも楽しめます。
石巻市役所は「エスタ」というショッピングセンターの2階を間借りしている状態です。
どう見てもショッピングセンターにしか見えない建物の入り口には「石巻市役所」と書かれており、ドアを開けると(やはり)ショッピングセンターでした。
これも、震災や津波の影響があったのだろうと思います。
私なりには(失礼とは思いますが)とてもウケました。

今回の東北は、本当は2日間ではなく、3日から4日かけて、海岸のルートを考えていました。
震災の影響はあるものの、代替バスがあると思い、時間をかけてでも海沿いの景色を見たかったのですが断念しました。
この話は次回の「被災地を行く(計画倒れ編)」で記述する予定です。

それでは、また、いつか。
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