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尾久を散歩する56

今日は久々の2を書きます。
「商店街を散歩する2」です。

昨日、東尾久近辺をウロウロしていました。
自分が住んでいる西尾久に対し、東尾久はあまり散歩していませんでした。
東尾久の方が西尾久より賑やかですよね。
活気があるように思いました。
西尾久の全商店街が都電荒川線とぶつかる方向に形成されているのに対して、都電荒川線と並行に位置する商店街の存在が私には印象的でした。

前回ブログにて、近所の商店街の正式名称を大雑把な表現にしたので記述し直す事にします。
・梶原銀座商店街
・小台橋通り銀座商店街
・小台銀座商店街
・熊野前商店街
・宮ノ前商店街
この一週間、なんとなく気になっていました。

商店街ができたから人が多くなったのか、人が多くなったから商店街ができたのか。
「鶏が先か」「卵が先か」みたいな話を考えてみました。
結論は「人が多くなったから商店街ができた」と思っていました。
なぜなら、人がいない場所に商店街ができるわけがない、と。
ですが「現実は小説よりも奇なり」なんですね。
テレビ番組からの情報では、何も無い場所に人を集める努力をした偉人達は数多くいます。
例えば、新宿は「ここに新しい宿場町を作ろう」とした人達がいたから新宿ができたのです。
無から有を作るのは時代問わず、やはり驚きを感じさせます。
各商店街にも偉人達がいたに違いありません。

車が商店街を通過しようとすると、道幅がぎりぎりなので、通行人には車がとても邪魔な存在に感じます。
そもそも商店街の道幅は、人が真ん中を歩きながら左右の各商店を確認できる幅なのかなと思っています。
全商店を見ようとした場合、道幅が宏すぎると往復しなければならなくなります。
商店街が中心で行う行事にも適した幅なのです。
ですから、車の存在は当初から想定されていません。
自転車が数多く置かれていても、とたんに道幅が狭くなってしまいます。
こんな事を考えていると、商店街自身が昔そのものなんですよね。
何か懐かしさを感じるのは、決して店舗の古さだけではないのです。
近代的な建物の中で仕事をしている人が、休日に商店街を歩くと何かほっとするのは理にかなっています。
そもそも、人間の歴史は動物を追いかけながら草原を走り回っていた期間が圧倒的に長いのですから。

残念な事に不景気や後継者の問題で、閉めてしまった店は珍しくありません。
そこで、閉じてしまった店が元何屋さんだったのか。
立ち止まって、現在の店舗の様子から判断しようと試みます。
そこで、目を引くのが中途半端に消された看板なんですよね。
営業していないのですから、看板の文字を消さなければなりません。
しかし、完璧に消してしまっては自分の店の存在そのものが無くなってしまうのも悲しい。
ですから、看板の商店名称や電話番号は少し見える程度に中途半端に消す。
そこに商店主の店を閉じた悔しさを見る思いがします。
勿論、私の勝手な想像なのですが。

板橋の商店街を歩いていると橋がありました。
とても小さな橋で、車が頻繁に通るような橋ではありません。
そのまま、見過ごしそうな橋なのですが、よく見ると「板橋」と書いてありました。
板橋区には、こんな小さな板橋があったんですねー。
地元の人は知っているんでしょうか。
私には驚きで「えー・えー」という感じでした。
そこで、都電荒川線の終点駅である三ノ輪橋を見ようと探したのですが、見当たりません。
派出所にて尋ねてみると「三ノ輪橋は無くなったよ」との事。
落語の落ちみたいですよね。

それでは、またいつか。
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